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東京高等裁判所 昭和33年(ラ)338号 決定

抗告人 竹内ダイ 外二名

主文

原審判をとりけす。

本件を東京家庭裁判所えさしもどす。

理由

本件抗告の要旨は別紙抗告状中抗告の理由記載のとおりである。

これにたいする当裁判所の判断をつぎにしるす。

民法第九三八条において相続放棄の意思表示は家庭裁判所に申述するという方法でしなければならないと定められる理由の一つは相続放棄が相手方のない意思表示であるために、これを行なうには、一定の形式によるものとしなければ、その意思表示がされたかどうか、またいつなされたかが、はつきりしない場合がおこりがちであるということである。相続放棄が相手方のない意思表示であるからには、これをとりけす意思表示もまた相手方のない意思表示であると解すべきである。このことは、民法第一二三条に相手方の確定している(意思表示)のとりけしは相手方にたいする意思表示によつて、これをなすべき旨定められることもかように解すべきよりどころの一つとすることもできよう。すでに相手方のない意思表示であるからには、これについて一定の形式によつてなすべきものとする必要のあること、相続放棄の意思表示におけると同様である。民法はその第一編第四編の規定によつて相続放棄をとりけし得べき旨を定めながら、これを行う方式になんら定めるところがないけれども、相続放棄に準じてそのとりけしの意思表示もまた、放棄申述をした家庭裁判所にとりけしの旨を申述するという方式によるべきものと解するのが相当である。この点についての抗告人の主張は正当とみとめるべく、放棄のとりけしは、とりけしによつて、不利益をうけるひとにたいする意思表示によつてすべきものとする原裁判所の見解は採用することができない。とりけしによりて不利益をうけるひとが、いつも、ひとりという保障はない。原審の見解によればそのひとりひとりに意思表示をしなくてはならない。なかには所在の不明なひともありうる。その調査にはどれだけかの月日がかかることは必然であり、あげくのはてに民法第九七条ノ二の公示の方法によるほかないというころには、民法第九一九条第二項の六箇月の消滅時効期間がすぎてしまうということも、ないとはかぎらない。原審裁判所の見解は結果においてもはなはだ非実際的である。

では、相続放棄とりけしの申述をうけた裁判所は、これをどう処理すべきものか。相続放棄申述の受理というは、裁判の性質を有するものではない。すなわち事実関係を審理確定し、これに法を適用し、その結果を宣言するという意味の裁判ではない。事実関係を確定するのみの裁判も例外的にみとめられることも(民事訴訟法第二二五条)ないではないが、この種の裁判でさえない。まことに原審判の理由に説明するとおり、事実証明の行為にすぎず、申述の受理によつて放棄の効力発生が確定するわけではない。放棄の効果を前提とする法律関係を訴訟の目的とする訴訟においてその受訴裁判所が前提問題として審理判定するものである。(相続放棄申述の受理を審判の一種であるというは、そのいうひとの自由ではあるが、このことばが、前述の裁判的意味を有するもののごとく解せられやすいものであることは注意すべきである)したがつて相続放棄の申述について裁判所のすべきことは最少限度においては申述書がなん年なん月なん日に出されたかを保全するだけでたりるわけである。申述書に申述者とされるひとが、相続人であるか、はたしてそのひとの意思によつて申述書が出されたか、民法第九一五条第一項の期間内であるかというごときいわゆる形式的審査をしてなにぶんの処置(却下するごとき)をするならば、それは、国家機関の国民にたいする後見的任務として、もし、こういうことがわるければ、国民にたいするサービスとしてするだけのことである。無効なことあきらかな、したがつて無益な申述をしながら、これを信じている当事者の後悔を未然にすくおうというのである。相続放棄の申述についてさえ、みぎのとおりであるから、この相続放棄とりけし申述についても、これをうけた裁判所はその書面をうけつけてさきの放棄申述の記録とともに保存することによつて、放棄とりけしの事実を保全すればたりると解すべきである。ただ、放棄申述について形式的審査をすることはさまたげないけれども、とりけしの申述が民法第九一九条第二項の消滅時効完成前に出されたかどうかの点のごときは、「追認をすることができる時」が形式審査によつてわからせることのできない事実であるから、時効期間の点は審査すべきものでないと考える。

さて、本件について考えるに、本件申立書の申立の趣旨のかきかたは、少々まずいけれども、同書中「事件の実情」部分とあわせてみると、申立人ら(抗告人ら)が昭和三十年二月十六日東京家庭裁判所へした申述によつてした遺産相続放棄の意思表示は、詐欺による意思表示であるからこれをとりけすという趣旨と解しえられる。

本件申立書が原審裁判所に提出されたのは昭和三十三年五月十六日であつて、「事実の実情」記載によると、それが申立人ら(抗告人ら)が詐欺の事実を知つたときから六月内であるかどうか、少々あやしいけれども、前段説示のように、この点をしらべることは実質的審査であり、これをしておいてもこのとりけしの効力の存否を確定することはできないのであるから、この点を問題とすることもいらないことであろう。

以上のようなわけで、本件とりけし申述はこれをうけつけて放棄申述の記録にとじておけばよいのであつて、あえて却下する必要はない。却下することによつてとりけし申述は法律上無に帰するとの解釈もされないかぎりではないから、本件とりけしが有効であるべきものであつた場合に家庭裁判所は本件申立人ら(抗告人ら)の正当な権利行使をさまたげたことになるであろう。

よつて原審判はこれをとりけし本件は東京家庭裁判所えさしもどすべきものである。

(裁判官 藤江忠二郎 谷口茂栄 満田文彦)

抗告の理由

一、民法第九百十九条第二項の規定は「1相続の承認及び放棄は民法第一編の規定によりこれを取消すことを妨げない」としている、従つて抗告人等は民法第九十六条の詐欺に因る相続放棄申述の取消の審判を申立てたわけである。

二、そこで意思表示の取消の相手方として抗告人等は相続放棄の申述した東京家庭裁判所に対して為したのである。

即ち東京家庭裁判所に対する申述であり同裁判所がこの申述を受理したから相手方は同裁判所である、勿論意思表示の取消の相手方が既に死亡した被相続人小幡勘次でもなければこれを相続した小柳タケでもない。(相続人が全員放棄する場合もあるから)

三、ところが原審は右の抗告人等の該申立の利益については充分これを認め乍らも左の理由でこれを却下した次第である。

1、家事審判法の甲類審判事項の規定にない。

2、相続放棄の前提となる遺産分割契約を取消し訴訟手続によるべきである。

3、家庭裁判所は性質上、相続放棄の取消を実質的にも形式的にも審理すべきではない。

4、相続放棄申述受理の審判は単なる公証であるから取消変更される限りでない。

四、しかし乍ら

1、家事審判法に規定がないから却下する理由は身分関係についての紛争の公権的解決が求められず家庭裁判所の機能から云つても規定の準用、類推解釈を以つて実質的にも審理すべきである。

2、相続放棄の前提となる契約を取消すとしても、その契約の相手が死亡している場合もあるし、又そのような契約がなかつた場合はどうなるか甚だ疑しい。

3、制度の趣旨からも家庭裁判所は凡そ身分関係のあらゆる紛争について実質的形式的に審理すべきである。

4、相続放棄申述受理は単なる公証行為とすれば公証人に対しても右の申述はできることになるし、又「相続放棄は特に期間を定め管轄家庭裁判所に対してこれをなすこと」とする法意は何か疑問である。

以上の理由で抗告人等は原審却下の審判に対し不服であるから本件抗告をなす次第である。

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